木村石鹸百年史
100年つづく石鹸会社をつくった3人のナニワ商人(04)〜3,000万失った、石鹸積んで全国行脚〜
ボイラー会社を辞めた、金太郎さん。そして、そんなお父さんを中学生ながらに立派に支えた、若かりし日の幸夫社長。二人の手によって戦争で一度廃業した木村石鹸は、空白の10年を経てこの世にまた産声をあげたのでした。
現在働いている社員の中で、実は木村石鹸の歴史を知っている人があまりいない…。このままでは、その成り立ちや100年の歴史が分からなくなってしまうかも…
ミネマツ
では、社長にインタビューして、記事におこしましょう!
ということで社長と社長ご婦人にインタビューした内容をまとめています。
▼初代・熊治郎からのお話はコチラ▼
100年つづく石鹸会社をつくった3人のナニワ商人(01)〜はじまりは、12歳の家出少年から〜
株に泣き、株に笑う
ミネマツ
「株式会社になったのはいつから何ですか?」
社長
「わしが社長になったときに株式会社にしてな」
社長
「ずっとわしの代では株式会社にする思っとったんや」
副社長
「株といえば、中学卒業の時に貯めた5万円で株買ったとか言っとったね」
社長
「大映の株を買うてな。そしたら翌年大映がつぶれてしもうて、パーになってしもうた。」
ミネマツ
「全部大映につっこんじゃったんですか?」
社長
「せや、もうすっからかんやで。」
「だいえいはだいえいでも、スーパーのダイエーの株でも買うとけば良かったわ。」と社長
社長
「当時は銀行もなかなか金貸してくれへんかったから、機械買うたりまとまった金つくるためには株で増やすしかなかったんや」
社長夫人
「それで株ももっと勉強するようになったんよね?」
社長
「18の時には株や土地ころがしてすこし儲けられるようになっててんけど、昭和38年にいわゆる先物に手出してな。最初は1週間で20万円の利益が出たんや。」
社長
「そん時は大手を振って、どやーいう気持ちで会社に戻って来たわ。大卒の初任給が2万とか3万ぐらいの時代やからな。」
社長
「味をしめて、もっと儲けようとしてお金つっこんでしもうた。結果的に仕手筋にひっかかって、3,000万が消えたんやわ。」
ミネマツ
「当時の3,000万って…(((( ;゜д゜)))アワワワワ」
ミネマツ
「3億…くらいってことですかね(((( ;゜д゜)))アワワワワ」
ミネマツ
「ダイエーノ、ヒジャナイ・・・」
社長夫人
「ちょうどわたしが嫁いでくる時でね。当時はそんなんになってるって、ぜんぜん知らんかったんやけど笑」
社長
「当たり前やろ。そんなこと言える訳ないやろ(ははは)」
社長夫人
「新婚旅行から帰ってきたら、何にいくら使うたか両親に勘定しててビックリしたわ笑。」
社長
「あんときは寿司屋で高いサザエ食べる言うから、肝冷やしたなあ(ははは)」
社長夫人
「この話ずっと言われ続けてるんやで笑。」
色んなことがあったけど、いつでも「上を向いてあるこう」な幸夫社長
金はないけど石鹸はある
社長
「金はなくなってしもうたけど、ホワイトベアーちゅう商品が売れてな」
ミネマツ
「あっ!みたことあります。なんか小さい箱に入っている可愛らしいやつですよね?」
社長
「それはコインランドリー用のやっちゃな。クリーニング屋によう売れたわ」
社長
「他んとこの粉せっけんは軽うて、息で飛んでってしもうた。それを水溶性の袋に入れてつくったんや」
ミネマツ
「クリエイティブですね〜」
社長
「銭湯用のエアポールっちゅうのも作ってな」
社長
「銭湯の営業が終わる0時にそろ〜と風呂屋に行って、お客がおらんなったら、商品の試作品を試させてもろうてたんやわ。」
社長夫人
「そんで出来たのがエアポール。今まで棒たわしで洗ろうてたんが、噴霧器でぱーとかけて流すだけやろ。あれは画期的やったわ。」
今も現役のエアーポール
ミネマツ
「それは銭湯業界にとってはさぞかし有難い製品だったでしょうね。売れたんじゃないですか?」
社長
「そりゃもう、よう売れた、売れたわ〜」
社長
「似たような噴霧器のものは他にもあったんやけど、塩酸・リン酸で出来てて吸い込むとごほごほとむせるんや。」
社長
「これでは汚れがよう落ちてもあかんわ言うて、アルカリでつくったんや。」
ミネマツ
「安全・安心の精神がここにも!」
社長
「溶剤が強いとタイルもボロボロになるからな」
車にのって全国津々浦々
社長
「やけんど、銭湯の数がだんだんと減ってきたしな。家庭の内風呂かて洗うやろおもて、そのエアポールを家庭用に作り替えたんやわ。」
社長
「今の「湯ドロハンター」とかそのへんの商品もその時からのヒット商品なんやで」
更に中身・パッケージの改良が繰り替えされ、現在の形に(2018年6月追記)
ミネマツ
「宣伝、しても、いいかな…えい!お買い求めはコチラから (・ω<) ☆彡」
社長
「あるとき鳥取のお客さんから商品のクレームがあったんやわ。『パンク知らず』ちゅう商品やねんけど、『お前んとこの商品使ったらパンクしたぞー』いうて」
社長
「そんでその日の内に鳥取の自宅まで社員を走らせたんや」
ミネマツ
「えエェェ・・・・Σヾ(・ω・´;)ノ」
社長
「そしたら逆に『780円の商品のクレームで、家まで来た奴はいない!』いうて感動しはってな」
社長
「そのお客さんが生協さんに手紙かいてくれて、うちの商品の取り扱いが決まったりもしたな。」
社長
「クレームがあると毎回そうやって対応したんやわ。」
ミネマツ
「社長自ら全国車を走らせて飛び込み営業もやったと聞きました。」
社長
「ああ、よう行ったよ。東京開拓するぞ!思ったらすぐ車乗ってな」
ミネマツ
「くるま?!?!?!」
社長
「毎日健康ランドに泊まって、1週間くらい全国回るんや」
副社長
「おやじは今でも東京行くときは深夜バスで行くんやで笑。」
ミネマツ
「ほ、ほ、本当ですか・・・」
ミネマツ
(うわー、まじかー(υ´Д)、会社のお金で新幹線乗っちゃってるよ、乗っちゃてるよーわたし)
出張の時は新幹線に乗っている訳ですが、まさか社長が夜行バスに乗っているとは・・・
幸夫社長の話に出てくる、銭湯向けの洗剤「エアーポール」は、一時銭湯や大衆浴場向けのものとしては一番使用されたものだったとか!
多くの製造業が廃業する中、木村石鹸が小さいながらに潰れず頑張ってこれたのは、幸夫社長の時流を読む力とそれを実現する力だったということが良く分かるお話でした。
次回は、このシリーズ最終回。毎年4月に全社員に1万円支給? タイガースが優勝したらボーナス? ゆみこ夫人はフォロワーがいっぱい?
などなど、気になっている話題の真偽を聞いてみたいと思います。