木村石鹸百年史
100年つづく石鹸会社をつくった3人のナニワ商人(05)〜色んな壁があるから、とりあえずぶつかってみる〜
今回は、このシリーズ最終回。毎年4月に全社員に1万円支給?タイガースが優勝したらボーナス?ゆみこ夫人はフォロワーがいっぱい?などなど、気になっている話題の真偽を聞いてみたいと思います。
現在働いている社員の中で、実は木村石鹸の歴史を知っている人があまりいない…。このままでは、その成り立ちや100年の歴史が分からなくなってしまうかも…
ミネマツ
「では、社長にインタビューして、記事におこしましょう!」
ということで社長と社長ご婦人にインタビューした内容をまとめています。
▼初代・熊治郎からのお話はコチラ▼
100年つづく石鹸会社をつくった3人のナニワ商人(01)〜はじまりは、12歳の家出少年から〜
社員が独立、お客さんも持ってかれる
ミネマツ
「わたしが木村石鹸に入社して来て、びっくりしたことが色々あるのですが。」
ミネマツ
「例えば毎週木曜日の清掃活動」今日は社員全員で北亀井町公園の清掃
副社長
「この活動のお陰で、隣の工場が空いた時に『いつも地域の掃除してくれはる、木村さんに』って一番に声かけてくれたんやったな」
ミネマツ
「それは日々の行いが良かったお陰ですね〜本当に」
ミネマツ
「あとは、毎朝読む道徳の小話。そもそも前の会社では朝礼なるものが存在しなかったので最初はびっくりしました。」
社長
「最初はな、わしも、『どこの宗教かしらんが、こんなもんいらん!』いうて見向きもしなかったんや」
社長
「ある時にな、働いとった社員2人で独立して同じ商売はじめたんわ。そんでうちのお客さんも持ってかれてしもうた。」
社長
「そしたら知り合いの社長に『木村さん、それはラッキーでした。その人たちは恩人ですよ。』言われたん」
社長夫人
「そんなこともありましたねえ」
社長
「なにが、恩人や!客まで取ってってしもうて!とカーッとなったんやけどな」
社長
「『そんな社員が会社にいたら、会社は発展しまへん。自分でいなくなってくれてラッキーかもしれません』こう言わはるんやわ」
社長
「そんときはよう分からんかったけど、今なら分かるようになったわ(ははは)」
社長
「社員もなかなか長く続く人がおらんで、「汚い・危険・きつい」仕事や言うて」
副社長
「それ、経営者の問題もあったんじゃないの笑」
社長夫人
「お父さん、良く怒鳴ってましたからねえ。機嫌が悪かったら、横にいただけでアウト笑。悪くなくても怒られるし。」
ミネマツ
「いまのおおらかな雰囲気からは想像できませんね笑」
この仕事を一度も嫌だと思ったことはない
社長
「わしの性格が変わった言うたらやっぱり、おやじが倒れて働けなくなって、そんで道徳の勉強をし始めてな。」
社長
「自分の言動も反省したし、何より親を大事にせなあかんちゅうことがよう分かったわ。」
ミネマツ
「それで始まったのが親孝行月間なんですね。わたし8月に入社したので、実はまだ未体験で。今からとても楽しみです。」
社長
「わしは今年75になるけど、この仕事を嫌だと思ったことはいっぺんもない!これはそういう風にお父さんとお母さんが育ててくれたおかげなんや。」
ミネマツ
「すごい・・・そんな風に親に感謝したことありませんでした」
副社長
「親孝行月間は、親に感謝するちゅう以外にも、子供が親孝行すれば経済もよくなるはずって本気で思ってやってるんやで」
ミネマツ
「なるほど。。。」
社長
「親孝行な人に悪い人は絶対いないんや。」
ミネマツ
「みなさん嫌がるかもしれないですけど、どんな親孝行したのかブログにも書きたいですね。」
デジタルマーケッターゆみこ夫人
ミネマツ
「ゆみこさんは、ご結婚されてからずっと木村石鹸のお手伝いを?」
社長夫人
「せやなあ。最初は工場に入って、石鹸つくるの手伝っとったけどな。」
社長夫人
「株式会社になって、事務やらなあかんかったから、それからは今の管理部みたいなことやっとったんやわ」
ミネマツ
「会社にインターネット導入したの、ゆみこ夫人だと伺ったのですが…」
社長夫人
「最初はな、息子(副社長)がインターネットの会社やる*言うけど、何のこっちゃ全然分からへんやろ。」
(*副社長は、木村石鹸に来るまでずっと自分の会社を経営されていた。)
社長夫人
「それで、インターネットの用語集やら何やら本を沢山買って勉強した」
興味がわくと、もっと知りたくなんよねえとゆみこ夫人
ミネマツ
「用語集買って、独学で?!すごい!」
社長
「わしは全然あかんねんけど、ゆみこはよう遅くまで勉強しとったわ。」
社長夫人
「そんでメール出来るようになって、孫ともやりとりできると楽しいやんか」
社長夫人
「これはものすごい便利やから、会社でも使おう言って入れたんや」
副社長
「ホームページも自分で作っとったな」
ミネマツ
「(;゜Д゜)エエー. すごすぎる。。」
社長夫人
「そのページ見てうちで働きたい言ってきてくれた人もおったな」
ミネマツ
「Twitterもかなりつぶやかれてますよね。どれどれ…」
ミネマツ
「え笑。フォロワー1,000人近くいるじゃないですかΣr("Д"n)2010年からアカウントあるし!」
最近スマフォを買い替えたらしい!
ミネマツ
「フェイスブックも、ラインも普通にやりとりされてるし、本当に新しいものに抵抗がないというか、どんどんチャレンジしてみようというその姿勢、尊敬します!」
副社長
「昔はブログもやとって、ものすごいビューがあった笑」
ミネマツ
「ちなみに、どれくらいの…?」
社長夫人
「何十万くらいちゃうかな?掲示板に1000件以上コメントついたこともあったな」
副社長
「ブログの掲示板機能の上限数までいった笑」
ミネマツ
「もうインフルエンサーの域ですよね、それ笑。このブログもゆみこさんに運営してもらった方が良いような気がしてきました・・・。」
初代・熊治郎さんにはじまり、金太郎さん、幸夫さんと、3人が支えてきた木村石鹸。どの方の、どのエピソードも大変興味深く、改めてこうやって記録に残せて良かったと思います。
どの時代も、一生懸命頑張った人の話は面白い。
そして会社が100年もつづくには(正確には100年までもう少しあるのですが)、時代時代にすばらしい経営者がいたからだということも良く分かりました。
エピソードとしてはご紹介できませんでしたが、最後に社長が言っていた印象的な言葉を。
わしは、何か新しいことをやるときに、「できん」と言うことも聞くことも嫌い。いっぺん、とりあえずやってみる。壁にぶちあたってみる。かたい壁もあれば、やわらかい壁もある。やってみないと分からへんのや。
貴重なお話、ありがとうございました!