木村石鹸

効率や成果には直結しないような活動に意味はあるのか?

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ワークショップ風景

赤字のイベントを僕らが続ける理由

去年からワークショップやトークイベントなどを積極的に開催しています。
一回のイベントをやるには、意外とマンパワーがかかります。うちにはそんな専門部隊も職種の人間もいないので、基本、営業や開発の人間が協力して取り組んでいるわけですが、これがなかなか大変です。

収支だけ見ると、人件費を勘定に入れてしまうと1回イベントやるごとにけっこうな赤字がでます。人件費を入れないとしても、ワークショップなんかは材料費やら準備やらなんやらが必要なので、仮に1000円、2000円を参加者の皆さんから徴収しても、せいぜいトントンが良いところ。大抵の場合は、足がでます。

というような感じなので、よくわからない人から見ると、なんちゅう無駄なことしてるんだ、と思われるでしょう。ほとんど売上にも繋がらない、且つ、営業の時間も奪われて、何の意味があるんだ? そんな風に思ってる人は、社内にもいるんじゃないかなと思います。

なので、このブログを通して、いちおう回答みたいなものをしておきつつ、組織の文化みたいなものについて考えてることを少し書いてみようと思います。

 

100回ぐらい開催したら「何かあるんじゃないか」

ワークショップやセミナーは、僕は、とにかく100回ぐらい開催してたら、「何か」あるんじゃないかと思ってやっています。 「何かあるんじゃないか」というとえらく抽象的ですが、何があるかわからない領域を想定しようとしても無駄なので、あまり考えないようにしていて、でも「何かある」かもという勘があるので、やってみてるわけです。

もちろん、取ってつけたような狙いや意図はいっぱいあります。直接、生活者と対面で話しができたり、体験を提供できることは、ブランディングには効果はあると思うし、それがたとえ少数であっても昨今はSNSやインスタやらを通じて、個人からでも情報は波及していったりもするわけで、それは単に商品の紹介やシェアより効果は高いことは間違いないでしょう。根強いファンを持ってるショップやブランドと何かイベントをすれば、そういうファンの人たちへのアピールにもなりますし、それは通常の広告やPRではなかなかリーチできないところだったりもします。
また、これは最近気づいて、ブログにも書きましたが、社員教育になるということは実感しました。新人にあえて講師をさせると、必死で勉強しますし、人前で話をするという訓練にもなります。(ワークショップは社員教育の場としても最適!?

ただ、こういうことは費用対効果を明確に分析することが難しい領域です。できるのかもしれないけど、そこにわざわざ労力やコストをかけるかというと、そこまでやることでもないと思ってます。なので、ぶっちゃけ「よく分からない」というのが正直なところなのです。

でも、「分からない」なりにではあるけれど、今のうちの事業や、今後の事業などを考える中で、ここを掘ってたら何かあるかもなぁという、ものすごく漠然とした感覚はあって、そういうきちんと言葉にして、理由として示せないところだからこそ、とにかくやって見てる、ということなのかもしれません。

100回やったら、というのはあくまでも目安ですけれども、繰り返しやってると、何か今想定もしてないことや見えてないことがあるかも、それはポジティブなベクトルを持ったものの可能性が高い、そんな風に思ってます。この辺の感覚は、もうほとんど直感みたいなものので、100回やっても、結局、何にもならなかったな、という結論に至ってるかもしれないし、それはわかりません。でも、どういう結果が得られるにせよ、やらないことには分からないのですから、これはやるしかないのです。

まだ大した数をやってるわけでもないですが、最近、いろんなところから一緒になんかイベントできないかというお声掛けを頂けることが増えてきました。これもイベントをやるようになったからこその効果だと思います。
とりあえず、形態は色々ですが、イベントの回数はどんどん増えてきてるので、意外と早く100回ぐらいのイベントはできそうな気もしてます。

さて、その頃には「何か」得てるものがあるんでしょうか。 僕にも今はわかりません。

ワークショップ風景

効率や成果だけを求めすぎても、成果はあがらないのではないか?

ビジネスというのは不思議なものです。たとえば、いろんな活動がある中で、直接成果に結びつく活動だけに絞ってやっていれば、それでうまく行くかというと、必ずしもそうじゃなかったりもします。

仕事上の、様々な工程があるとして、すべての工程の効率を高めると、全体の効率が上がるかという、これまた不思議とそういうわけにはいかないことの方が多かったりもします。

いろいろ理由はあるのでしょうけれど、1つあるのは、あらゆる作業や活動を「効率/非効率」「成果に繋がる/繋がらない」だけで見てしまう組織は、面白味がない、ということなんじゃないかと思ってます。
面白味がない、とはこれまた抽象的ですが、ある種の「無駄」とか「遊び」みたいな要素がない組織では、仕事はどんどん「義務」になっていくんじゃないかなと思うんですね。

結局、それは会社の行動やそこで働く人たちの行動をすべて、そういう視点から見るよ、評価するよ、というメッセージになってしまうので、今どうかはわからないけど将来に繋がるかも、みたいな不確定要素の強いところには、誰も手を出したくなくなるんじゃないかと。

例えば、こういう赤字のイベントを開催してたとして、社員がみな頑張ってるところで、社員のだれかが「こんなんやっても儲からへんやん」と言ったとしますね。その社員が何かしらの権限を持った職位の高い人だと、どうでしょうね。途端に、現場は、あぁこんなことやってても、うちの会社では評価もされないんだなと思うでしょう。

そうなると、たぶん、もう現場は、直接成果に繋がることや、分かりやすく売上や利益に繋がることしかやりたくなくなります。

でも、会社には、今すぐやっても意味はないけど、将来的にやっといたほうがいいだろうみたいなことは沢山あるわけで、そういうことを現場にやってもらうのは、今度は難しくなるわけですね。きちんとした理由をつけてお願いしないと、すぐに成果に結びつかないことをやってもらいにくくなる。

そんな環境や文化が広がっていくと、今やってることはいいかもしれないけど、次の種を見付けたり、新しいチャンスにトライしたり、そういうことが出来なくなっていくんじゃないかなと思うんですね。 それは中長期的には、組織の衰退を招いたり、社員のモチベーション低下に繋がったりするんじゃないかと。

ワークショップ風景

新しいもの好き。ちょっと変わったものを生み出していきたいです。

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